瑩山禅師(けいざんぜんじ)
瑩山禅師は1264年(1268年の説もある)、越前にお生まれになり、8歳で永平寺に入り三世徹通義介禅師のもとで修行を始めました。
13歳で二世孤雲懐弉禅師について正式に僧となると、瑩山紹瑾と名を改め、19歳になると諸国行脚の志をたて、求道生活に精進されました。
そして35歳のとき、義介禅師の後を継いで加賀国(石川県)の大乗寺住職となり、2年後に『伝光録』をお示しになりました。その門下には優れた人材が集まるようになり、曹洞宗が発展する基礎が築かれました。また、50歳で能登に永光寺を開き、そこで『坐禅用心記』を撰述されたといわれています。
その後、58歳のとき諸嶽寺を寄進されると禅院に改め總持寺と名づけました。1324年、61歳のとき總持寺の住職を峨山禅師に譲られ、翌年62歳でそのご生涯を閉じられました。